トレッキング初心者が始めちゃったブログ

【ここだけの話】『トレッキング初心者が始めちゃったブログ』 と、タイトル設定したけど、今のところ主な活動は、「山登り」、「山歩き」、要は登山ですね。これが実に楽しい。タイトル下にも書いたけど、本当に不思議なくらいにこの世界に引き込まれていく自分が突然として顔を見せた。自分はいい年齢(トシ)なので、余り危険なことをする気はないけど、若いうちにこの世界を知っていれば、もしかしたら冒険心みたいな気持ちに灯がともってしまったかもしれない。この「山の世界」、かなりお勧めである。

2017年9月24日日曜日

富士山展望台『金時山』

日本一の山、富士山。たまに見たくなるんですよね。
雨男の自分、今年は特にその能力を発揮し、自ら計画した山行をことごとく中止に追いやってしまった。先日の3連休も随分前から家内とテン泊山行を計画していたが、台風の影響によりあっさり中止となってしまった。ただ、連休に入ってすぐ、最終日の天気が晴れの予報に変わってくれたので、久々に家内を引き連れて山に向かうこととした。
歩いてきた山は『金時山』。箱根にある、あの金太郎伝説で有名な山だ。神奈川県民には気軽にハイキング的な登山を楽しめる山として親しまれているのだそう。
この山をチョイスしたのは、もうかれこれ5年ほど前だろうか、やはり家内と歩こうと思って計画して、何かの理由で断念した山だから。その後、そのとき作成した登山計画書や地図はどこかに埋もれてしまっていたが、今回、家内が「そういえば、あれあったじゃん」的に思い出し、ようやく日の目を見ることになった。
朝早く東名高速を走らせていると、ややしばらくして日本一の富士の山がどーんと視界に入ってくる。この日は快晴、運転しながら早く歩きたくてうずうずしていた。その後、車を金時神社手前の無料駐車場に停めて、歩き始めたのは午前8時半、薄暗い杉林の登山道は台風の影響からか辺りには木の枝や葉っぱが散乱している。登山客もまばらな中、約一年ぶりの家内との山歩きがスタートした。このところ我が家ではいろいろな問題が起きていただけに、そんなことを払拭するかのように、家内は「やっぱり山はいいね~」と何度も呟き、自分はというと、雨に濡れた濃い緑の森を眺めながらうんうんと頷いていた。

歩き始めは杉林の登山道。鎮守の森ということだろう。
特に危険な箇所もなく、傾斜も緩やかな登山道。とはいえ膝にやや不安を抱える家内に配慮し、二人はゆっくりゆっくりと山頂を目指した。時折視界が開ける場所に出るが、厚い雲が勢いよく流れていて展望があまり効かず、その後、2時間かからずに辿り着いた山頂にも厚い雲が張り付いていて、視界はほぼゼロ。その山頂には意外にも登山者が20~30人ほど休憩していて、晴れの日を待ち望んでいたのはどうやら自分たちだけではなかったよう。問題は、この雲。富士山には雲がかかっていないはずなのに、ここが雲に覆われてしまっては、せっかっくの目標物も拝むことができない。そう、この日は富士山にほど近いこの山の頂からあの雄姿を眺めることが最大の目的だった。

この日、山頂に着いたときはこんな感じ。少しだけ絶望したかな?
唯一の期待としては、雲の流れるスピード。時折雲が薄くなったときに一瞬、うっすらとすそ野を広げたあの雄姿が姿を見せ、その都度、山頂では歓声が上がる。少し時間をかけて待ってみようと、強風の中、ガスバーナーに火を点け、早めの昼食を食べていると、思ったより早く「その時」はやってきた。この山を覆っていたしつこい雲がすべて抜け、一気に辺りは快晴となり、この場所がこんなにも展望の良い開けたところだということに気付いた。こんなことってあるのか?ああ、富士山がでかい!やっぱり富士の威厳はすごいな!それにしてもここは、まるで富士山の展望台のようだ。
その後、二人は霊峰富士に祈りを捧げ、乙女峠を経由する縦走ルートを歩き、スタート地点の金時神社に下りた。久々の家内との山歩きは、実に満足のいく楽しい山歩きとなった。帰りの車の中で家内はすぐに「次はどこ歩く?」ですと。なんだか、家内の山愛に再び火が燈ってきたようだ。さて、次はどこに行こうか。


【Start 金時神社駐車場~金時山~長尾山~乙女峠~Goal 金時神社駐車場】
総行程は、距離約 8km、出発地点標高695m、最高標高1212m(金時山)、最低標高695m(出発地点)、移動平均速度 約1.4km/h、総所要時間4h52m(recorded by garmin(スタート時に不具合発生))

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2017年9月2日土曜日

槍ヶ岳開山(新田次郎)

年季物の本、初版は昭和43年で、これは昭和50年の第20版でした。
この夏、登るはずだった槍ヶ岳。40年ぶりの長雨に阻まれ、惜しくも夢と散ってしまったが、そんな槍ヶ岳登山に向けて読んでいたのが、近所の図書館で借りてきたこの本。もともと自分が持っていた槍ヶ岳のイメージは、「北アルプスの中心」、「ほかの山頂からの眺望のシンボル」、「岩」、「登攀」などなどで、この本を読んでみると、そうした自分が抱いていたイメージが江戸時代の人々も同様に感じられていたことが分かって、この槍ヶ岳という山にググッと親近感を覚えてきた。いまだ北アルプスを歩いたことのない自分、事前のルート調査とこの本を読んだことによって、歩いたことのない槍ヶ岳の付近の景色が目に浮かんでくる。楽しいやら悲しいやらである。
さてこの物語、時代は1800年代初頭に遡る。農民一揆の混乱により自分の妻おはまを誤って殺してしまい、出家の道を辿ることになった岩松(のちに播隆上人)は、苦しい修行を乗り越え、笠ヶ岳再興に続き槍ヶ岳開山を目指す。衆生済度(しゅうじょうさいど。生きているものすべてを迷いの中から救済し、悟りを得させることの意味で、仏教用語)のためにとしながらも、上人自身の中には亡きおはまに自らの過ちの許しを得ることが強く意識されていた。そしていよいよその頂上に立った時、そこには五色に彩られた虹の輪の中に如来を見たがその如来は形を変え、おはまの顔が浮かびあがってきた。だが、そのおはまは、いまだ憎悪の念を抱くように上人を睨んでいた...。
何とも苦しい物語ではあるが、そうしたストーリーの中にも新田次郎らしく入念な取材の跡が窺われる作品で、仏教解釈のみならず、もちろん地元の訛りや地名などもふんだんに出て来ていて、特に印象に残ったのが上高地は昔は「上口(かみぐち)」と呼ばれ神聖な場所だったようだし、現在の槍沢ルート途中にある播隆窟(坊主岩)も昔から岩小屋と言って、避難小屋として使われていたようだ。あ~あ、こんなことばかり詳しくなっても、実際にこの目で見ないと意味がないんだけどね。でも、来年こそは行くぞ北アルプス。そして待っていろよ槍ヶ岳!

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