トレッキング初心者が始めちゃったブログ

【ここだけの話】『トレッキング初心者が始めちゃったブログ』 と、タイトル設定したけど、今のところ主な活動は、「山登り」、「山歩き」、要は登山ですね。これが実に楽しい。タイトル下にも書いたけど、本当に不思議なくらいにこの世界に引き込まれていく自分が突然として顔を見せた。自分はいい年齢(トシ)なので、余り危険なことをする気はないけど、若いうちにこの世界を知っていれば、もしかしたら冒険心みたいな気持ちに灯がともってしまったかもしれない。この「山の世界」、かなりお勧めである。

2017年9月2日土曜日

槍ヶ岳開山(新田次郎)

年季物の本、初版は昭和43年で、これは昭和50年の第20版でした。
この夏、登るはずだった槍ヶ岳。40年ぶりの長雨に阻まれ、惜しくも夢と散ってしまったが、そんな槍ヶ岳登山に向けて読んでいたのが、近所の図書館で借りてきたこの本。もともと自分が持っていた槍ヶ岳のイメージは、「北アルプスの中心」、「ほかの山頂からの眺望のシンボル」、「岩」、「登攀」などなどで、この本を読んでみると、そうした自分が抱いていたイメージが江戸時代の人々も同様に感じられていたことが分かって、この槍ヶ岳という山にググッと親近感を覚えてきた。いまだ北アルプスを歩いたことのない自分、事前のルート調査とこの本を読んだことによって、歩いたことのない槍ヶ岳の付近の景色が目に浮かんでくる。楽しいやら悲しいやらである。
さてこの物語、時代は1800年代初頭に遡る。農民一揆の混乱により自分の妻おはまを誤って殺してしまい、出家の道を辿ることになった岩松(のちに播隆上人)は、苦しい修行を乗り越え、笠ヶ岳再興に続き槍ヶ岳開山を目指す。衆生済度(しゅうじょうさいど。生きているものすべてを迷いの中から救済し、悟りを得させることの意味で、仏教用語)のためにとしながらも、上人自身の中には亡きおはまに自らの過ちの許しを得ることが強く意識されていた。そしていよいよその頂上に立った時、そこには五色に彩られた虹の輪の中に如来を見たがその如来は形を変え、おはまの顔が浮かびあがってきた。だが、そのおはまは、いまだ憎悪の念を抱くように上人を睨んでいた...。
何とも苦しい物語ではあるが、そうしたストーリーの中にも新田次郎らしく入念な取材の跡が窺われる作品で、仏教解釈のみならず、もちろん地元の訛りや地名などもふんだんに出て来ていて、特に印象に残ったのが上高地は昔は「上口(かみぐち)」と呼ばれ神聖な場所だったようだし、現在の槍沢ルート途中にある播隆窟(坊主岩)も昔から岩小屋と言って、避難小屋として使われていたようだ。あ~あ、こんなことばかり詳しくなっても、実際にこの目で見ないと意味がないんだけどね。でも、来年こそは行くぞ北アルプス。そして待っていろよ槍ヶ岳!

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2 件のコメント:

  1. 青空です、
    今年は散々ですね。
    上高地は素晴らしい所です。
    ぜひ、来年晴れるといいですね

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    1. ホント散々でした。まあ、でもこういうこともあるでしょう。
      じたばたしてもしょうがないですしね。また来年頑張ります!
      青空さんは、相変わらず青空続きのようですね。うらやましい!

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