この日は、天気が良かったこともあってか歩いている途中、多くの人にすれ違った。最初のうちは人数を数えていたけど、あまりの登山者の多さに途中からやめるほどで、間違いなく50人以上とすれ違ったと思う。これ、山頂とかの休憩所で会った人を除く数字なので、山歩きをした人は分かると思うけど、驚異的な数字です。標高も近いし、さながら名古屋の高尾山といったところでしょうかね(猿投山 629m、高尾山 599m)。
さて、その登山道といえば、自分が歩いたコースはしっかりと整備されていて、初心者でも歩きやすいと思う。逆に言うと、「整備されている」ということは、低山であることもあり階段が多いことにつながるが、この階段が、さらにまた逆に戻すと、意外にも歩きにくさにもつながっていると思う(ももを上げないといけないので、結構キツイ)。まあ、高低差があまりない山なので、このくらいのキツさは、むしろいい運動として、受け入れられているのかもしれないが、整備された里山とは、こうしたものなのかもしれない。
歩き始めは、名鉄バスの赤津バス停。ここから一般道を10分ほど歩くと雲興寺前に出るので、まずはこの日の安全をこのお寺で祈願した。山里の禅寺で心静かになったところで、登山口に向かい、静かな山歩きをスタートさせたのは、朝8時前。じわじわと標高を上げるにつれ体も温まってきて、それまで来ていたアウターをザックにしまい込み、12月の晴れの日の下、ロングTシャツ1枚でさらに標高を上げた。と思ったものの、このあと登りはすぐに終わり稜線にあっさりと出たが、「今日は、久しぶりの山歩き。ゆっくり行こう」と、あまりにも早く展開していることに自らくぎを刺すように、一歩一歩を味わうように歩いた。
とはいえ、その後、あっさりと山頂にたどり着いたが、自分の場合、低山では、基本、コース全体を楽しむのであって、山頂は一つの通過点としているので、少しだけ写真を撮って休憩することもなく、その場を後にした。歩いていて気づいたのは、この山は地元の人たちに愛されている山なんだということ。すれ違う人の多くは軽装のハイキングスタイルで、元気な子供たちの声や、敬老会とみられるおじいさんばあさんの団体、それからトレランなど様々。そして登山道には名物となっているのかな?ウサギのオブジェやカエル石、どれをとっても、しっかりと地元に根付いた山であることをうかがわせていると感じました。
ただ、あたりまえだけど、山頂を過ぎるとこの山もやはり下りとなるわけで、途中、猿投神社の奥宮なのか、「東の宮」でお参りをしたり、大展望台なる看板につられて眼下に広がる街並みを眺めたり、徐々に里に近づいてくる感じを楽しんだ。自分の場合、山から下りてきて人里を感じ始めると、非日常な世界から別れる残念な気持ちの一方で、事故なく下山できた安堵感で、「帰ってきた~」みたいなことをつぶやいてしまうのだが、この日これは出なかった。まあ、それだけ里山感が強く非日常感が薄かったということかとは思うけど、そうはいっても久しぶりの山歩きは、情けないことではあるが、それなりに足にキテしまった。これはやはり、普段のランニングだけでは足は鍛えられていないことだろうと思うし、これからは、もう少し頻度を上げて山を歩こうと思う。「山歩きは山歩きで鍛える」基本は大事だと改めて感じました。
最後に訪れた猿投神社は、思っていたよりも立派な神社で、神社好きの自分としてはお得な気分に浸れたし、この日の無事にお礼を告げるとともに、今後もいい山とのご縁をお願いすることができました。それから、今年見過ごしてしまったと思っていた紅葉も、少しだけ見ることができて、なんともほんわかとした幸せな気持ちに包まれ、この日の山歩きが幕を閉じた。さて次はどの山あるこう。
GPS 04:12、距離 10.1 km、登り 543 m、下り 600 m