トレッキング初心者が始めちゃったブログ

【ここだけの話】『トレッキング初心者が始めちゃったブログ』 と、タイトル設定したけど、今のところ主な活動は、「山登り」、「山歩き」、要は登山ですね。これが実に楽しい。タイトル下にも書いたけど、本当に不思議なくらいにこの世界に引き込まれていく自分が突然として顔を見せた。自分はいい年齢(トシ)なので、余り危険なことをする気はないけど、若いうちにこの世界を知っていれば、もしかしたら冒険心みたいな気持ちに灯がともってしまったかもしれない。この「山の世界」、かなりお勧めである。
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2024年6月8日土曜日

串田 孫一(くしだ まごいち)という人

串田孫一って、誰なんだ。そもそもなんで自分は、串田孫一という名前を知っているんだろう。最近になって、ふとそんな疑問が自分の中で浮かんできた。

何年か前に山岳関係の古書に興味を持った時期があって、おそらくその中で名前を知ったのだろうと思うけど、思いつくのはその程度。Wikipediaを見ると、東京帝国大学で哲学を学んだとあり、また、詩人、随筆家とあるので、山、一本槍の人ではなさそうだが、それでも昭和の山岳系文芸誌『アルプ』の創刊に携わった一人のようなので、山に対しては、並々ならぬ思いをお持ちの方だったのだろうと容易に想像はつく。

今の自分は一人生活なので、比較的本を読む時間があるし、今回、ふと串田孫一のことを思い出したことも縁と感じ、たまたま近所に古書店が多くある環境だったので、画像の本を、興味のおもむくまま購入してみた。

大正4年生まれの孫一は、昭和13年に東京帝国大学を卒業し、上智大学で教鞭をとりつつ、執筆活動もしていたのだろう。その後、太平洋戦争を経て、旧制東京高等学校で教鞭をとることとなり、その中で若者に刺激されたのだろうか、それとも山好きの仲間と再会し意気投合したのだろうか、昭和33年3月に『アルプ』を創刊した。この前後から山に関する出版物が多くなってきたようだから、やはり、この頃に猛烈に山への思いが強くなったのであろう(Wikipedia情報を元に想像しました)。当時、孫一が43才の時だ。

もともと孫一は、14〜15才の頃から山に触れ合っていたようで、ー このことは今回購入した「高原」の前書きに孫一が書き記していた ー こうした経験は、大学で哲学を学び著書を多く出していた孫一としては、ある意味、必然的に山に関する著作活動に進んで行ったのだろうと思う。だって、山歩きは、人生観や哲学めいた発想に通じるものがありますからね。何度も言いますが、これらはすべて自分の拙い知識と、豊かと言えない想像力を元にした話ですが。ただ、古書っていうのは、歴史が物語る時代背景をもとに著者へ思いを馳せることができるのも、楽しみの一つだと思いますので、孫一さんには申し訳ないですが、勝手に楽しませてもらいました。

「アルプ」が創刊されたのが昭和33年3月、今回購入した「悦ばしき登攀」は、その年の8月に出版された随筆集で、一方「高原」(串田孫一編)は、その3年後の昭和36年に出版されている。まあ、つまりはどちらも孫一の山への思いが形となり始めた頃の作品と言えるかもしれない。というのも「悦ばしき登攀」は、まさにアルプと同期出版だし、高原は孫一が取りまとめ編纂しているのであって、実際に執筆したのは、要は山好きな作家の方々なのだから、この本の企画構想は、おそらく昭和33年頃のものだったのではないかな。

ちなみにこの高原には、日本百名山の深田久弥、花の百名山の田中澄江、山と渓谷の田部重治、珍しい方としては、詩人の草野心平など、自分が知っているだけでも、中々の重鎮揃いの布陣だ。

また、「悦ばしき登攀」を読んでみると、孫一は山に対する強い思いだけではなく、相当高度で熟練された登山をしていたようで、海外の有名峰も登っていたのではないだろうか。なによりも読み進めていくうちに、まるで、自分も孫一と一緒に山にいるかのような錯覚を覚えてしてしまうような描写力があり、読み応えがある。ちなみに「岩上の想い」というタイトルの随筆は、このように書き始めている。

「ここはこの大山塊のうちで一番高いところだ。そして昨日から幾つもの峯々を歩いて、これが私の辿るべき最後の岩山だった。遂にここまでやって来たという気持ち、自分の表面はどんなに落ち着いていても、内部の悦びは誤魔化しようもなく湧いているその気持ちを、まず積み重なった火山岩に腰を下ろして、ゆっくりと鎮めてかからなければならない。

風はない。なんにもない。空には複雑にもつれた巻雲が散らばっている。それが見ていると可なりの速力で流れている。

誰もいない。鳥も飛んでいない。」

ああ、自分もこんな心がヒリヒリするような山歩きをしてみたい。果たしてそんな日は訪れるのだろうか。

さて、次はどの山歩こう。

2020年3月22日日曜日

インパクト抜群『死に山』

インパクト抜群の表紙。あらすじは、あえて言いません。

この本、表紙や帯には強烈なインパクトはあるが、山好きの文学もろくに知らないおじさんの感想としては、期待はずれも甚だしい。一言で言えば、残念。でも、あくまでも読んだ者の主観であるから、楽しく読める人も、もしかしたらいるかもしれない。自分なりにあえて、ポジティブに言うのならば、読み物は色々な作り方があり、その一端が味わえるのが、色々な書物を読むという行為であること。つまり、全ての行動が勉強に繋がるということ。

持ち上げて落とすような言い方になるかすらも分からなくなってきたけど、この本、山好き向けだとか、山に興味があるなしとか、そういう次元の読み物ではないということ。伝え方が難しくなっている点、何となくご理解願いたい。


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2017年9月2日土曜日

槍ヶ岳開山(新田次郎)

年季物の本、初版は昭和43年で、これは昭和50年の第20版でした。

この夏、登るはずだった槍ヶ岳。40年ぶりの長雨に阻まれ、惜しくも夢と散ってしまったが、そんな槍ヶ岳登山に向けて読んでいたのが、近所の図書館で借りてきたこの本。もともと自分が持っていた槍ヶ岳のイメージは、「北アルプスの中心」、「ほかの山頂からの眺望のシンボル」、「岩」、「登攀」などなどで、この本を読んでみると、そうした自分が抱いていたイメージが江戸時代の人々も同様に感じられていたことが分かって、この槍ヶ岳という山にググッと親近感を覚えてきた。いまだ北アルプスを歩いたことのない自分、事前のルート調査とこの本を読んだことによって、歩いたことのない槍ヶ岳の付近の景色が目に浮かんでくる。楽しいやら悲しいやらである。

さてこの物語、時代は1800年代初頭に遡る。農民一揆の混乱により自分の妻おはまを誤って殺してしまい、出家の道を辿ることになった岩松(のちに播隆上人)は、苦しい修行を乗り越え、笠ヶ岳再興に続き槍ヶ岳開山を目指す。衆生済度(しゅうじょうさいど。生きているものすべてを迷いの中から救済し、悟りを得させることの意味で、仏教用語)のためにとしながらも、上人自身の中には亡きおはまに自らの過ちの許しを得ることが強く意識されていた。そしていよいよその頂上に立った時、そこには五色に彩られた虹の輪の中に如来を見たがその如来は形を変え、おはまの顔が浮かびあがってきた。だが、そのおはまは、いまだ憎悪の念を抱くように上人を睨んでいた...。

何とも苦しい物語ではあるが、そうしたストーリーの中にも新田次郎らしく入念な取材の跡が窺われる作品で、仏教解釈のみならず、もちろん地元の訛りや地名などもふんだんに出て来ていて、特に印象に残ったのが上高地は昔は「上口(かみぐち)」と呼ばれ神聖な場所だったようだし、現在の槍沢ルート途中にある播隆窟(坊主岩)も昔から岩小屋と言って、避難小屋として使われていたようだ。あ~あ、こんなことばかり詳しくなっても、実際にこの目で見ないと意味がないんだけどね。でも、来年こそは行くぞ北アルプス。そして待っていろよ槍ヶ岳!


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2017年2月19日日曜日

『山と渓谷』2017年3月号


ケチな自分としては珍しく、久々に「山と渓谷」を買った。普段は図書館で済ませているのに「今月号だけは」と思い購入した。というのも、今月号の特集が「悩めるヒザ、予防と対策」だったから。しかも総ページ数は56ページにも及ぶ大特集。ひざ痛に悩む家内に何らかの役に立つのではないかと思い、永久保存版的な感覚もあって購入に踏み切ったというわけ。
ひざ痛の原因や仕組みは別にして、この特集によるとひざ痛の予防策として①歩行の見直し、②筋力アップ、そして③ギアの活用を挙げている。家内の場合は、筋力の弱さが根本的なひざ痛の原因だろうから、鍛え直すことが一番の予防策となるだろうが、ただ、筋力アップは一朝一夕には果たすことはできない。一方、家内の場合、下りのしかも特に階段に弱いらしいので、そうした特徴を見る限り歩き方に問題があると見ていいだろう。だから、今回の特集記事でもう一度歩き方の見直しを勧めてみようと思っている。なお、ひざ痛を予防するギアは財力にものを言わせ(笑)それなりにゲット済みなので、ここは問題ないようだ。ちなみに基本の歩き方は、頭から肩、腰、くるぶしまでを鉛直にすることを基本姿勢として意識することが大切らしい。
ところで、特集冒頭に某有名大学病院の先生が登山者6名の症状を診断するコーナーがあった。やはり本当は専門のお医者さんにちゃんと診てもらったほうが、具体的な対処方法が見つかるみたい。Webで調べてみると、膝専門の整形外科は意外にもたくさんあるみたいなので、家内にもいずれ受診させようかなと思っている。ひざ痛に悩む各位も一度お試しあれ。

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2017年1月22日日曜日

冬山の掟(新田次郎)

冬山、遭難、死、家族、色々なことを考えさせてくれる一冊です。

「冬山ではいかなることがあっても、午後に行動を起こしてはならない。」小説『冬の掟』の一節である。冬の八ヶ岳は硫黄岳頂上付近、リーダーの池下昇平はそんな掟を破り、隊員二人を従えて日が暮れた中、猛吹雪により進路を見失い絶望的な瞬間を迎えようとしている。硫黄岳頂上付近は広く開けていて吹きっ晒しになるので、強風時の風当りは凄まじいらしい。ましてや暗闇に吹雪ともなると、考えただけでもぞっとする。
歩いたこともない自分がなぜそこまで言うかというと、実はこのルート、この冬歩こうと思っていて、地図やブログなどを見てイメージトレーニングを何度も繰り返していたから。ただ、自分が歩こうとしていたルートが物語とはいえ死の舞台になっていると、さすがにハッとする。正直ビビる。だからもう一度、計画に無理がないかを練り直すこととした。まだ死ぬわけにはいかないからね。
さて、今回読んだのは新田次郎の短編が10作収められた新装文庫本で、元々は昭和53年に刊行されたものらしい。本のタイトルにもなった『冬山の掟』は、最近、自分の頭の中の大部分を占めていた冬山歩きと偶然シチュエーションがダブったので特に印象に残ったが、これ以外もみな冬山、しかも冬山遭難に関係する作品ばかりで興味深く読むことができた。また、時代背景が昭和前半期なので、登山用具などの名称が現在のそれとやや違っていて、これもこれでなかなか面白かった。シュラーフザック、ウインドヤッケ、アノラック、ルックザック等々、現在でいうと...分かるかな?


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2016年8月6日土曜日

氷壁(井上靖)


タイトルと表紙の写真に惹かれて読んでみた。冬山の壮絶な登攀の様子を思い描いたからだ。ただ、意外にも山のシーンは多くなく、内容としては恋愛話も織り込みながら登山家たる登山論?について主人公の魚津恭太の言葉を通して熱く伝えている。そういう意味では、この小説は登山寄りの総合小説とでもいうのだろうか、つまり新田次郎らが書く山岳小説とは一線を画した作品だといえよう。
さて、主人公の魚津恭介、会社員でありながらの登山家で、共に登った冬山で親友の小坂乙彦を転落事故で亡くす。この事故はザイルの切断が直接の原因ではあったが、その切断の原因を巡り、自殺だったのか、魚津が切ったのか、あるいはザイルの強度が原因だったのか、さらには仮に不意の事故だったとしてもザイルの扱いに未熟な点があったのかなどについて、登山界だけではなく世間をも大きく巻き込んでいく。そして、こうした問題の渦中にありながら、小坂や魚津の前に影を落とす八代美那子との恋心などが複雑に絡まり、話は進んでいく。
魚津自身、熟練の登山家でありながら、最後は何かに憑りつかれたように落石の危険の中に身を賭していくのだが、こうしたシーンは実際の山行では特別であるとしても、登山には「死」というイメージが常について回るようだ。小説の中で印象に残ったセリフで、魚津の上司、常盤大作が「大体、登山をスポーツと思うのが間違いのもとである。毎年のように大勢の生命が山で失われる。あれは登山をスポーツと考えるところから起きる悲劇である。」と熱弁をふるっていたが、逆に言うと登山は危険と背中合わせになっているところに登山者を虜にする理由もあるのかなと思う。もちろん自分が歩く山はそれほど危険地帯はないものの、それでも油断が命取りにつながることもあるので、山に行く前の準備から、歩いている最中においても自分含め登山者は可能な限り安全を確保する義務がある。自分のためにも、そして家族のためにも。本題から若干逸れたかもしれないが、そんなことに思いを馳せてしまった。

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2016年4月2日土曜日

とうとう手に入れた『復刻版 奥多摩 ─ 山・渓・峠 ─ 』

状態も上々で手が震えるほど嬉しい!

いやあ、自分、興奮している。というのも、あの宮内敏雄の『復刻版 奥多摩』、いわゆる“宮内本”をとうとう手に入れたのだから。この本との出会いは約5年前、山を始めてすぐに自分のホームグラウンドの奥多摩のことを詳しく知りたいと思って訪れた近所の図書館でのこと。戦争真っ只中の昭和19年に刊行された原本を平成4年に復刻したこの本、市場に出回るのは極めて稀で、自分も手に入れたいと思い始めてから5年、まめにwebをチェックしたり、古書店に通ったりしても一度もお目にかかることがなかったが、先日、とうとうwebに載っていたのを見つけ、すぐさま取り置きをお願いし、手に入れることができた。これが興奮せずにどうしろというのか。
この本がどんな本かを簡単に言うと、「奥多摩がそもそもどんなところで、こんなに楽しめるところが一杯あるんだということを世間の皆さんに伝えるための本」といえるだろう。まあ、高尚な登山ガイド本といったところか。構成は、地誌編と山行記録編に分かれていて、地誌編では、筆者が様々な文献の検証や地誌学者との意見交換、そして自らの山行による取材を通じて奥多摩の各山域の地名の由来などについて、学者顔負けの持論を展開していく。一方、山行記録偏では、奥多摩各地域を山、渓、峠に分けたうえで、それぞれのルート案内をしていている。この頃にはすでにレジャー登山が行われていたということなのだろう。そうそう、日本で始めて山岳会ができたのが明治後期だから、昭和の時代に登山が一般に普及し、ガイド本が出てきたとしても不思議ではないということか。

第一版、というか二版は出てない?

そんな昭和19年の頃の情報は、現代の世、奥多摩をホームグラウンドとしている自分にとっても、かなり興味をそそられる内容ばかりで、図書館から借りてきて初めて読んだときも、内容の充実さに驚き、食い入るように読んだ。ますます奥多摩が好きになった瞬間だった。
ここで、初めて読んだときに特に印象に残った箇所をひとつ書き出してみよう。

(前略)「以上の結論として、地図の三頭山は御堂が正しく(ミドウと発音するのが正しく)御堂はその山頂の峠付近に、地方的に相当な信仰を聚めていた宮があった故に起った名であると私考するのである。」三頭山の名の由来として主流である“三つの山頂説”をばっさり切っている。う~ん、深イイ!

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2016年1月23日土曜日

『日本百名山』初版本を手に入れて

これが噂の?初版本

山歩きを愛する人には深田久弥の百名山の「肯定派」、すなわち百名山制覇を目標としていたり、また百名山に選ばれた山に憧れを抱く方々と、逆に「否定派」、すなわち百名山の選定結果に多少なりとも不満があったり、百名山を好む登山者をミーハーな奴等だと毛嫌いないしは冷めた目で見てしまい、結果、百名山自体を無視してしまう方々に分かれると思う。(もちろん主観。やや言い過ぎなところがあるとは認める。)
自分はどちらかといえば後者。自分の山選びに百名山の条件を加えることはないが、憧れの山は百名山と被ってしまうことが多いのは事実。つまり、その山はその山であって、山に何の悪気があるはずもなく、深田氏だろうが誰だろうが選ばれ、憧れられたことでその山の何かが変わるわけでもなく、山はいつもそこにデーンと居座っているだけ。だから自分は百名山を参考にすることはあるとしても、目指すことはない。一方で百名山を目指す方に対しては「どうぞお好きなように」といった感じで思っている。まあ、いわば否定派ソフト路線といったところだろうか。
とはいっても、こうした百名山に対する思いと、「日本百名山」の初版本を手に入れることは別。(あれっ、やや硬派な面を見せていた自分だが、我ながら堂々たるブレブレ感が漂ってきたかな。)自分、たまに都内の古書店に顔を出しては山に関する良い本が入っていないかをチェックしているが、先日とうとうその初版本を見つけてしまった。お値段も比較的お安かったので、即ゲット。あえて言い訳をするならば、この本は、昭和39年に発刊され当時の読売文学賞を受賞している。つまり、山岳ガイド本ではなく、文学として評価された本なので、当然興味も湧くところ。我輩、文学が好きなのである...。
本書の後記で深田氏は「もちろん私の目は神の如く公平ではない。私に自信を持たせてくれたのは、五十年に近い私の登山歴である」と言っている。百名山に対する感じ方は人それぞれだが、山が好きで楽しい山歩きをしたい気持ちはどの登山者も同じだと思う。お互い認め合い、それぞれが楽しい山歩きをする。結論は単純明快である。それにしてもこの本、存在感あるわ。

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2015年11月28日土曜日

尾根を渡る風‐駐在刑事‐

心あったまる、そんな一冊です。

山にまつわる小説が読みたいと思い、図書館に行った。借りてきたのは『尾根を渡る風‐駐在刑事‐』。笹本稜平さんの小説だ。あわせて笹本さんの小説を何冊か借りてきたけど、どれを読んでも胸があったかくなって、気持ちがとても和む作品ばかりだ。通勤電車が主な読書場の自分、この本を電車の中で読んでいると、地獄の通勤ラッシュにあっても気持ちがホンワカして心に余裕が生まれるような気がする。少しくらい足を踏まれても、「お互い様だから大丈夫ですよ」といった具合(かも...)。

この本、シリーズ短編5作でできていて、舞台は自分もホームグランドとしている奥多摩の山域。奥多摩に駐在所長として赴任して山歩きがかけがえのない趣味となった訳ありの元警視庁捜査一課刑事「江波淳史」とその愛犬の「プール」、若いながらも江波の山の師匠であり、それでいて近所の旅館の気ままな跡とり息子「池原孝夫」、そしてその仲間達。そんな登場人物たちが奥多摩に巻き起こる事件を解決していくのだが、警察が取り上げないような小さな手がかりを捜査して解決に導いていったたり、誰も追及しない事件の裏に隠された真実を紐解いたりしていく中で、毎回、心温まるエピソードが展開していく。しかも舞台となる奥多摩の地名がふんだんに出てくるので、読んでいて臨場感がハンパない。奥多摩好きの読者にはお勧めの一冊であるし、そうでない読者もこの本を読んで、ぜひ奥多摩に足を運んでほしいとも思う。近々、また奥多摩を歩いてこようと思う。奥多摩に魅入られたのは江波だけではない、ここにもいる。

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2015年1月12日月曜日

凍(とう)

山野井さん、凄い人です。もち妙子さんも。

この小説、あの山野井泰史が妻の妙子さんとともにヒマラヤのギャチュンカン北壁に挑み、登頂後の下降時に遭難しかけ(「奇跡的に」というと、山野井氏は憤慨するだろうが)生還してきた様をノンフィクション作家の沢木耕太郎が2005年に新潮に掲載したもの。当時はタイトルを「百の谷、雪の嶺」としていたそうだが、単行本にするにあたって改題したそう。
この小説の中で、作者の沢木は山野井とギャチュンカンの出会いや山野井のクライマーとしての成り立ちから描きはじめ、山野井らの山中での様々な葛藤や細かなクライミングテクニックを詳細に書き綴り、帰国してからの凍傷手術を経ての山に対する気持ちの変化を、まるで本人の気持ちを代弁するかのように書きなぞらえていた。
ただ、山野井はほかの何かのインタビューで、「僕らが経験したヒマラヤはもっと美しくて、もっと偉大で、もっと厳しいものだった。僕らが感じたものは、やっぱり僕らだけの大事なもの」と、沢木を褒めたたえながらも、山は行った者でなければ、そこで感じた者でなければ本当の山は分からないといった意味のことを言っていた。そこだけは、間違いなく自分も共感できる。やっぱり山の良さは人にはなかなか伝えられなくて、仮に同じ山頂に別の人間が同じような行程で登ったとしても、やはり感じ方はそれぞれにあるような気がして、やっぱり、その辺は山野井氏が言うように「自分たちが感じたものは自分たちの大事なもの」なのだろう。

ラストシーン、この厳しい自然環境を描きながらも、なにかあったかくほのぼのとした気持ちにさせる辺りは、さすが沢木さん。おみごと。

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2014年9月6日土曜日

神々の山嶺(かみがみのいただき)

かなりリアルな大作。山には神はいるのか?

久々に読んだ山岳小説は、世界最高峰エベレストにまつわる話。自分の「山」とは似ても似つかない、まさに登山会トップの世界。主人公は自身クライマーでもあるカメラマンの深町誠40歳。山仲間とエベレストを狙った深町ほか6人の中年隊は2人を滑落事故で失う。失意の中カトマンドゥのとある登山用具店でG・マロリーがエベレスト遭難時に使用していたカメラを偶然にも見つけ、話は展開していく。その中で毒蛇と名乗る天才クライマーの羽生丈二に出会い、最後には自らも生死を賭けてのエベレストの頂に魅了されていく。厚めの単行本上下巻を簡単に言うと、そんなところ。作者の夢枕さんごめんなさい。

もし自分が20代の頃に山に魅了されてしまったらどうだったろうか、エベレストは大袈裟と考えても、クライミングの世界に入り込んでいただろうか。高所恐怖症で、臆病で、しかも人に迷惑をかけることが嫌いな自分は、やはりやらなかったであろうか。でも、40歳を越えて始めた山歩き、徐々にレベルを上げていきたいと感じている自分がいることもまた事実。もちろん、今さら本格的なクライミングを始めようとは思わないけど、チャンスがあれば日本アルプスの有名峰に登ってみたいとは思っているので、その場合、ある程度の登攀は必要になってくるはず。
この小説を読んでいると、そんな危険な山登りに挑んでいる自分を想像してしまい、「いつかは俺も」といった自分の中に眠る冒険心みたいなものが目覚めてきそうな、そんな気にもさせた。

今年もあっという間に半分が済んでしまい、当地での山シーズンも残り少なくなってきた。自分はというと、いろいろな事情が発生し、山歩きは当初思っていたほどの成果はあがってはいない。でも、それも自分の運命と受け止めて、これからも山に対しては自然体で臨みたいと思っている。今は行けない時期だけど、山の神様が「今、いいよ」と言ってくれる時は訪れるはず、そんなことを思って日々、トレーニングを欠かさず、過ごしていこうと思う。

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2013年9月14日土曜日

羆嵐(くまあらし)

これを読んだら、山に行けなくなるかも...

ヤバいものを読んでしまった。読み始めてからややしばらくしてそんなことを思った。
北の大地で山歩きをするならば一度は読んでおけと、懇意にしてもらっている先輩から勧められたのがこの「羆嵐」(くまあらし)。
時代は大正、場所は北海道北西部の天塩山地近くにある山間部の小さな村の話。実際に起きた事件を基に書いた小説ということもあり、内容は実にリアルで、読み手としても史実の記録を読んでいるといった錯覚に陥る。それだけに後悔先に立たずだが、本当にヤバいものを読んでしまったと思った。

羆(ひぐま)は、突然の遭遇でない限り、人を襲わないと思い込んでいたが、一概には言えないことがこの小説を読んで分かった。むしろ、人の肉を欲して人を襲うだなんて、とても信じられないことだ。でも、この小説では、一頭の巨大羆が人肉欲しさに最後には一つの村を壊滅させるまでに暴れまわる様子が克明に刻まれている。実に恐ろしい小説だ。

来週、天気が良ければ当地での2回目の山歩きをしてくる予定だけど、この本のおかげで、超ビビってる。先輩、とんでもないことしてくれましたね。

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