タイトルと表紙の写真に惹かれて読んでみた。冬山の壮絶な登攀の様子を思い描いたからだ。ただ、意外にも山のシーンは多くなく、内容としては恋愛話も織り込みながら登山家たる登山論?について主人公の魚津恭太の言葉を通して熱く伝えている。そういう意味では、この小説は登山寄りの総合小説とでもいうのだろうか、つまり新田次郎らが書く山岳小説とは一線を画した作品だといえよう。
さて、主人公の魚津恭介、会社員でありながらの登山家で、共に登った冬山で親友の小坂乙彦を転落事故で亡くす。この事故はザイルの切断が直接の原因ではあったが、その切断の原因を巡り、自殺だったのか、魚津が切ったのか、あるいはザイルの強度が原因だったのか、さらには仮に不意の事故だったとしてもザイルの扱いに未熟な点があったのかなどについて、登山界だけではなく世間をも大きく巻き込んでいく。そして、こうした問題の渦中にありながら、小坂や魚津の前に影を落とす八代美那子との恋心などが複雑に絡まり、話は進んでいく。
魚津自身、熟練の登山家でありながら、最後は何かに憑りつかれたように落石の危険の中に身を賭していくのだが、こうしたシーンは実際の山行では特別であるとしても、登山には「死」というイメージが常について回るようだ。小説の中で印象に残ったセリフで、魚津の上司、常盤大作が「大体、登山をスポーツと思うのが間違いのもとである。毎年のように大勢の生命が山で失われる。あれは登山をスポーツと考えるところから起きる悲劇である。」と熱弁をふるっていたが、逆に言うと登山は危険と背中合わせになっているところに登山者を虜にする理由もあるのかなと思う。もちろん自分が歩く山はそれほど危険地帯はないものの、それでも油断が命取りにつながることもあるので、山に行く前の準備から、歩いている最中においても自分含め登山者は可能な限り安全を確保する義務がある。自分のためにも、そして家族のためにも。本題から若干逸れたかもしれないが、そんなことに思いを馳せてしまった。
さて、主人公の魚津恭介、会社員でありながらの登山家で、共に登った冬山で親友の小坂乙彦を転落事故で亡くす。この事故はザイルの切断が直接の原因ではあったが、その切断の原因を巡り、自殺だったのか、魚津が切ったのか、あるいはザイルの強度が原因だったのか、さらには仮に不意の事故だったとしてもザイルの扱いに未熟な点があったのかなどについて、登山界だけではなく世間をも大きく巻き込んでいく。そして、こうした問題の渦中にありながら、小坂や魚津の前に影を落とす八代美那子との恋心などが複雑に絡まり、話は進んでいく。
魚津自身、熟練の登山家でありながら、最後は何かに憑りつかれたように落石の危険の中に身を賭していくのだが、こうしたシーンは実際の山行では特別であるとしても、登山には「死」というイメージが常について回るようだ。小説の中で印象に残ったセリフで、魚津の上司、常盤大作が「大体、登山をスポーツと思うのが間違いのもとである。毎年のように大勢の生命が山で失われる。あれは登山をスポーツと考えるところから起きる悲劇である。」と熱弁をふるっていたが、逆に言うと登山は危険と背中合わせになっているところに登山者を虜にする理由もあるのかなと思う。もちろん自分が歩く山はそれほど危険地帯はないものの、それでも油断が命取りにつながることもあるので、山に行く前の準備から、歩いている最中においても自分含め登山者は可能な限り安全を確保する義務がある。自分のためにも、そして家族のためにも。本題から若干逸れたかもしれないが、そんなことに思いを馳せてしまった。
こんばんは、
返信削除青空です。
山は危険と思います。
特に冬山、岩場は、、、
危険がゆえ、非日常の味わいがあるのかもしれません。
私は、安全第一。
ま、そこまでの体力はありませんけどね、ははは、
青空さん、いつもどうもです。
削除冬山も岩場も今の自分にとってはとても興味のある山歩きです。でも自分の力は分かっているつもりなので、身の丈に合った山歩きを心がけようと思います。青空さんもくれぐれも安全には気をつけてくださいね。