いやあ、自分、興奮している。というのも、あの宮内敏雄の『復刻版 奥多摩』、いわゆる“宮内本”をとうとう手に入れたのだから。この本との出会いは約5年前、山を始めてすぐに自分のホームグラウンドの奥多摩のことを詳しく知りたいと思って訪れた近所の図書館でのこと。戦争真っ只中の昭和19年に刊行された原本を平成4年に復刻したこの本、市場に出回るのは極めて稀で、自分も手に入れたいと思い始めてから5年、まめにwebをチェックしたり、古書店に通ったりしても一度もお目にかかることがなかったが、先日、とうとうwebに載っていたのを見つけ、すぐさま取り置きをお願いし、手に入れることができた。これが興奮せずにどうしろというのか。
この本がどんな本かを簡単に言うと、「奥多摩がそもそもどんなところで、こんなに楽しめるところが一杯あるんだということを世間の皆さんに伝えるための本」といえるだろう。まあ、高尚な登山ガイド本といったところか。構成は、地誌編と山行記録編に分かれていて、地誌編では、筆者が様々な文献の検証や地誌学者との意見交換、そして自らの山行による取材を通じて奥多摩の各山域の地名の由来などについて、学者顔負けの持論を展開していく。一方、山行記録偏では、奥多摩各地域を山、渓、峠に分けたうえで、それぞれのルート案内をしていている。この頃にはすでにレジャー登山が行われていたということなのだろう。そうそう、日本で始めて山岳会ができたのが明治後期だから、昭和の時代に登山が一般に普及し、ガイド本が出てきたとしても不思議ではないということか。
この本がどんな本かを簡単に言うと、「奥多摩がそもそもどんなところで、こんなに楽しめるところが一杯あるんだということを世間の皆さんに伝えるための本」といえるだろう。まあ、高尚な登山ガイド本といったところか。構成は、地誌編と山行記録編に分かれていて、地誌編では、筆者が様々な文献の検証や地誌学者との意見交換、そして自らの山行による取材を通じて奥多摩の各山域の地名の由来などについて、学者顔負けの持論を展開していく。一方、山行記録偏では、奥多摩各地域を山、渓、峠に分けたうえで、それぞれのルート案内をしていている。この頃にはすでにレジャー登山が行われていたということなのだろう。そうそう、日本で始めて山岳会ができたのが明治後期だから、昭和の時代に登山が一般に普及し、ガイド本が出てきたとしても不思議ではないということか。
そんな昭和19年の頃の情報は、現代の世、奥多摩をホームグラウンドとしている自分にとっても、かなり興味をそそられる内容ばかりで、図書館から借りてきて初めて読んだときも、内容の充実さに驚き、食い入るように読んだ。ますます奥多摩が好きになった瞬間だった。
ここで、初めて読んだときに特に印象に残った箇所をひとつ書き出してみよう。
(前略)「以上の結論として、地図の三頭山は御堂が正しく(ミドウと発音するのが正しく)御堂はその山頂の峠付近に、地方的に相当な信仰を聚めていた宮があった故に起った名であると私考するのである。」三頭山の名の由来として主流である“三つの山頂説”をばっさり切っている。う~ん、深イイ!
ここで、初めて読んだときに特に印象に残った箇所をひとつ書き出してみよう。
(前略)「以上の結論として、地図の三頭山は御堂が正しく(ミドウと発音するのが正しく)御堂はその山頂の峠付近に、地方的に相当な信仰を聚めていた宮があった故に起った名であると私考するのである。」三頭山の名の由来として主流である“三つの山頂説”をばっさり切っている。う~ん、深イイ!
こんばんは、
返信削除太平洋戦争の時、よく創刊できたと思います。
当時、読まれた方は少なかったのかな~?
こだわりの本、探し当てて、これからさらに、
奥多摩行きがふえそうですね、青空
青空さん、いつもどうもです。
削除確かに大変な時期に出しましたね。どなたかのブログに書いてあったのですが、著者は創刊時、出征のうえ戦死したので、出版された自分の本を見ることがなかったそうです。
おっしゃるとおり、この本をしっかり活用するためにも奥多摩をどんどん歩こうと思います(笑)。
墨田区向島在住の者です。
返信削除偶然に叔父の記事を見つけて
とても嬉しかった、思わずコメントを記入させて頂きます。本当に感謝しています。
tokyojoeさん、コメントありがとうございます。
削除そうですか、あの宮内さんが叔父様ですか、すごいです。私こそ感激です。
叔父様のおかげで奥多摩が大好きになったといっても過言ではありません。
そんな奥多摩好きの人は少なくないと思います。ありがとうございました。