栗城 史多(くりき のぶかず)、今年、エベレスト南西壁ルートからの単独無酸素での登頂チャレンジにおいて、途中、無線連絡が途絶え、捜索隊が遺体を発見した。5月21日のことだ。体調を崩して下山途中に滑落死したと報道されている。
心ない一部の者から「下山家」などと揶揄されるほど、彼はエベレストとは相性が良くなかったようで、単独無酸素という無謀とも言えるその登山スタイルもあってだろう、8度の挑戦の甲斐なく、結局、登頂を果たすことなく、この世を去った。
昨日、栗城さんの追悼ギャラリーに行ってきた。老若男女問わず思ったより多くの人が訪れていて、人気の高さを改めて認識した。
心ない一部の者から「下山家」などと揶揄されるほど、彼はエベレストとは相性が良くなかったようで、単独無酸素という無謀とも言えるその登山スタイルもあってだろう、8度の挑戦の甲斐なく、結局、登頂を果たすことなく、この世を去った。
昨日、栗城さんの追悼ギャラリーに行ってきた。老若男女問わず思ったより多くの人が訪れていて、人気の高さを改めて認識した。
たくさんの方の応援を得てエベレストに挑戦したのだろうだが、本当に残念なことだ。 |
そんなこともあり、山での危険と死について改めて考える良いきっかけとなった。エベレストの、しかも単独無酸素といった世界トップクラスの登山と、自分のハイキング程度の登山とを当たり前のことだが比べるなんて、とてもおそれ多く、恥ずかしいことだとは承知している。まったく、世界が違うのだから。ただ、子を持つ親として、山をやる仲間を持つ友として、その死を身近なこととして置き換え考えてみると、「冒険心」というある種の欲望なのか人間の本能なのか、あるいは見栄なのか、いずれにしても冷静に考えてみると命を軽く考えがちな行動は、自分本位であって、周りの人のことをまるで考えていない。
たくさんの方が、追悼ギャラリーを訪れていた。 |
一度きりの人生において、それがいいか悪いかなんて議論することは考えてはいないが、ただ、大事な人がいなくなるなんてやはり単純に悲しい。だから、自分はこう思う。「そこを進む前に大事な人の顔を思い浮かべてほしい」と、岩を登る前にそんなことを考える人間なんて、たぶん誰一人としていないと思うが、でも、例えば崖から落ちる瞬間には一瞬思い浮かべるのではないか。自分は、昔、海でおぼれて危ういところを人に助けてもらった経験があって、その時、もうだめだと思った時には家族の顔が一瞬、脳裏をよぎった。自分はたまたま命を失うことはなかったが、時すでに遅しとなる前に、どうか考えてほしい。そう思う。
ただ、栗城さんの場合、そんな思いもおそらくは届かなかったのだろう。冒険家というのは、そういうものなのかもしれない。ただただ、残念です。今となってはご冥福を祈るだけです。
ただ、栗城さんの場合、そんな思いもおそらくは届かなかったのだろう。冒険家というのは、そういうものなのかもしれない。ただただ、残念です。今となってはご冥福を祈るだけです。
こんなメッセージがあった。もしかしたらあの世でも挑戦を続けているかもしれない。 |
こんにちは、
返信削除やっぱ、山には危険が伴うと思います、
低い山でも遭難の可能性はあり、高い山ならなおさらですね、
人それぞれです~ 青空
青空さん、こんにちは。
削除確かに。人それぞれですがね、命は大事にしてもらいたいものです。
親より先に逝っては、やはり親不孝ですよ。私はそう思いますが。