トレッキング初心者が始めちゃったブログ

【ここだけの話】『トレッキング初心者が始めちゃったブログ』 と、タイトル設定したけど、今のところ主な活動は、「山登り」、「山歩き」、要は登山ですね。これが実に楽しい。タイトル下にも書いたけど、本当に不思議なくらいにこの世界に引き込まれていく自分が突然として顔を見せた。自分はいい年齢(トシ)なので、余り危険なことをする気はないけど、若いうちにこの世界を知っていれば、もしかしたら冒険心みたいな気持ちに灯がともってしまったかもしれない。この「山の世界」、かなりお勧めである。

2024年6月8日土曜日

串田 孫一(くしだ まごいち)という人

串田孫一って、誰なんだ。そもそもなんで自分は、串田孫一という名前を知っているんだろう。最近になって、ふとそんな疑問が自分の中で浮かんできた。

何年か前に山岳関係の古書に興味を持った時期があって、おそらくその中で名前を知ったのだろうと思うけど、思いつくのはその程度。Wikipediaを見ると、東京帝国大学で哲学を学んだとあり、また、詩人、随筆家とあるので、山、一本槍の人ではなさそうだが、それでも昭和の山岳系文芸誌『アルプ』の創刊に携わった一人のようなので、山に対しては、並々ならぬ思いをお持ちの方だったのだろうと容易に想像はつく。

今の自分は一人生活なので、比較的本を読む時間があるし、今回、ふと串田孫一のことを思い出したことも縁と感じ、たまたま近所に古書店が多くある環境だったので、画像の本を、興味のおもむくまま購入してみた。

大正4年生まれの孫一は、昭和13年に東京帝国大学を卒業し、上智大学で教鞭をとりつつ、執筆活動もしていたのだろう。その後、太平洋戦争を経て、旧制東京高等学校で教鞭をとることとなり、その中で若者に刺激されたのだろうか、それとも山好きの仲間と再会し意気投合したのだろうか、昭和33年3月に『アルプ』を創刊した。この前後から山に関する出版物が多くなってきたようだから、やはり、この頃に猛烈に山への思いが強くなったのであろう(Wikipedia情報を元に想像しました)。当時、孫一が43才の時だ。

もともと孫一は、14〜15才の頃から山に触れ合っていたようで、ー このことは今回購入した「高原」の前書きに孫一が書き記していた ー こうした経験は、大学で哲学を学び著書を多く出していた孫一としては、ある意味、必然的に山に関する著作活動に進んで行ったのだろうと思う。だって、山歩きは、人生観や哲学めいた発想に通じるものがありますからね。何度も言いますが、これらはすべて自分の拙い知識と、豊かと言えない想像力を元にした話ですが。ただ、古書っていうのは、歴史が物語る時代背景をもとに著者へ思いを馳せることができるのも、楽しみの一つだと思いますので、孫一さんには申し訳ないですが、勝手に楽しませてもらいました。

「アルプ」が創刊されたのが昭和33年3月、今回購入した「悦ばしき登攀」は、その年の8月に出版された随筆集で、一方「高原」(串田孫一編)は、その3年後の昭和36年に出版されている。まあ、つまりはどちらも孫一の山への思いが形となり始めた頃の作品と言えるかもしれない。というのも「悦ばしき登攀」は、まさにアルプと同期出版だし、高原は孫一が取りまとめ編纂しているのであって、実際に執筆したのは、要は山好きな作家の方々なのだから、この本の企画構想は、おそらく昭和33年頃のものだったのではないかな。

ちなみにこの高原には、日本百名山の深田久弥、花の百名山の田中澄江、山と渓谷の田部重治、珍しい方としては、詩人の草野心平など、自分が知っているだけでも、中々の重鎮揃いの布陣だ。

また、「悦ばしき登攀」を読んでみると、孫一は山に対する強い思いだけではなく、相当高度で熟練された登山をしていたようで、海外の有名峰も登っていたのではないだろうか。なによりも読み進めていくうちに、まるで、自分も孫一と一緒に山にいるかのような錯覚を覚えてしてしまうような描写力があり、読み応えがある。ちなみに「岩上の想い」というタイトルの随筆は、このように書き始めている。

「ここはこの大山塊のうちで一番高いところだ。そして昨日から幾つもの峯々を歩いて、これが私の辿るべき最後の岩山だった。遂にここまでやって来たという気持ち、自分の表面はどんなに落ち着いていても、内部の悦びは誤魔化しようもなく湧いているその気持ちを、まず積み重なった火山岩に腰を下ろして、ゆっくりと鎮めてかからなければならない。

風はない。なんにもない。空には複雑にもつれた巻雲が散らばっている。それが見ていると可なりの速力で流れている。

誰もいない。鳥も飛んでいない。」

ああ、自分もこんな心がヒリヒリするような山歩きをしてみたい。果たしてそんな日は訪れるのだろうか。

さて、次はどの山歩こう。

2024年5月12日日曜日

GWテン泊山行『藤原岳、竜ヶ岳』(下山編)

3日目、この日は下山するだけです。前日寝過ぎたせいか、起床予定時刻の6時前から目が冴えて寝ていられません。粘りに粘って、なんとか5時半過ぎに起きました。起きてしまえば、朝飯と撤収です。朝飯は、お決まりの朝ラーで、これ早くできて、美味くて食べやすいので、山での朝飯はいつもこれにしてます。喉が渇くのが難点ですが、まあ、いつもなんとかしてます。

この日は下山するだけと言いましたが、この日は下山してから温泉というビッグイベントが待っています。山で2泊、しかも汗をかきまくりの身体は、やばいほどのケモノ臭(加齢臭か)が漂っています。流石にこのままでは、電車に乗るのもはばかれるので、持参してきた汗拭きシートとドライシャンプーで気休め程度の脱臭作業をしてから下り始めました。

前日、結構歩いた割には足の疲労は大丈夫のようで、それでも慎重に足を運び今回最後の山歩きを楽しむことにしました。登りは20kgほどあったザックもビール、飲み水、食料をほぼ全て消費したので、14kgくらいになっていると思われ、肩の痛みもなく、また、2日前に降った雨の影響もさすがに感じることなく、サクサク、ひょいひょいと順調に山を下りることができました。登山道を出る前には、神社の神様にも安全登山のお礼をして、これで今回の山歩きは終了です。

そのあとは、電車を途中で降り、温泉施設まで30分ほど歩き、目指す温泉に無事入ることができ、隣接する新しいレストランでお洒落な蕎麦定食をいただき、帰りの途につくことができました。とまあ、おそらく当地で最後の山歩きを、目一杯に満喫することができた自分、なんとも幸せなおじさんです。

振り返ってみると、当地でのおよそ2年間、山行回数としては14回、怪我もなくトラブルもなく無事に歩き切りました。また、縁があったらこちらで歩きたいと思いますが、当面、その予定はありません。今までありがとう、当地の山々。

さて、次はどの山歩こう。


▽ ヤマレコ情報

(3日目)

GPS 02:01 距離 3.5 km 登り ─ m 下り ─ m

(3日間合計)

GPS 12:42 距離 21.4 km 登り 2,257 m 下り 2,283 m



GWテン泊山行『藤原岳、竜ヶ岳』(ピストン編)

2日目は、朝5時起床。山で迎える朝としては、決して早くない時間ではあるが、この日の山行計画からすると、この時間で十分だと踏んだから。この日は、ピストン縦走を計画していて、目指すは干支の山『竜ヶ岳』。辰年の今年、是非ともこの山は歩きたいと年の初めから思っていた。なぜかというと、まあ、めでたいからということだろう。竜ヶ岳までは、片道約7km、ピストンコースなので、総距離はその倍。アップダウンはこの間、上下とも約1400mとなかなかで、問題だったのは、この日の天気予報は快晴で、平地では30℃まで気温が上がるようだから、標高1000m前後のコースでは、それなりの暑さは覚悟しなければならない。

意を決して、テン場を離れ、何が訪れるか分からない山歩きを楽しむこととした。最初は藤原岳、サブザックで身軽な分、サクサクと歩は進み、歩き始めから10分くらいで山頂に到着。ここからが自分にとっては未踏の地で、まずは恐ろしく急な岩だらけの急登を一気に下る。きっと戻りでは、最後のへとへとになった状態でこの坂を登ることになるんだろうなと思うと、最初から気が重くなるが、今から考えてもしょうがないので、坂を下りきってからの登りに挑む。この坂がなかなかに急で大変、と思ったら登った以上にすぐに下にかかる。と思ったら、みたいに序盤は激しいアップダウンを繰り返すこのコース、中間地点だと思っていた治田峠が遠いのなんの。

あらかじめ持っていたイメージとしては、治田峠までがおおむね下りで、そこからは登り返すと思っていたが、まあ、間違ってはいないのだろうが、アップダウンの多さが、その感覚を狂わしてしまう。とはいっても、体力を温存しての歩きに心がけ、治田峠を越えてもまだまだ余裕はあった。

コースは基本的に樹林帯だがところどころで視界が開けるところがあって、そこからはどこの町だろう、下界が広がっているのが見える。谷から吹き上がってくる風は程よく冷たく、火照った身体に心地いい。聞こえてくるのは、鳥のさえずりと風の音だけ。ウグイスが「ホーホケキョ」と鳴くと、自分も続けて口笛で真似をする。するとウグイスもまた応えてくる。そんなことで単調な山歩きに彩りを添えながら、ずんずんと前進していく。途中、すれ違う人は少なく、たまにすれ違う登山者は、若い登山者は別として、おじさんたちは皆、息を弾ませ、楽しそうな、いや苦しそうな表情を浮かべている。

登山道は荒れているわけではないが、ところどころに滑落に気をつけなければならないような箇所があり、油断はできない。テン場には水場がないので2泊3日の山旅に使う飲料水は全て担ぎ上げてきたから、この日の飲み水も大事に飲まなければならず、ピストン山行に持ってきた水は、1200ml。快晴の暑さに耐えながらも、極力前半では節水しなければと思い、自然に足取りもゆっくりとなる。ただ、汗は容赦なくかいているようだ。

片道4時間かかると思っていた前半も目指す竜ヶ岳が近づいてくるにつれて、多少、早めに着きそうなことが分かってきた。「調子いいぞ」と、1人満足する自分。そしていよいよ竜ヶ岳が見えてきた。なんて綺麗な山なんだというのが、第一印象。山頂付近に樹木はなく、笹原だろうか、山が覆われていて、その輪郭がはっきりと分かる。優しそうな山だ。やはり来てよかった。おそらくあと10分とか20分で着く距離まで来ているのだろう。

周りには、里からのコースを歩いてきたのであろう登山者がたくさん歩いている。登山道もひらけていて、開放的な気分になる、いい登山道だ。あっという間に山頂に辿り着き、その展望に癒され、しばし休憩した。遠くには雪を被った白山、御嶽、乗鞍が見えるし、近くに目を転じると歩き始めの藤原岳、その隣に去年歩いた小池岳も見える。なんだか、この辺の山域に愛着が湧いてきているようだ。さあ、早くテントに戻ろうと思い立ち、折り返しを開始した。

折り返しというのだから、さっき歩いてきたコースを歩いているはずなのに、なんだか記憶が定まらないというか、覚えていない箇所が随所にある。でもまあ、折り返しというのはそういうことなのだろうと考え、気楽に歩くこととした。まずは、中間地点の治田峠を目指すのだが、これがまた往路と同じように、なかなか着かない。道を間違えたのではないだろうかと思うほど、遠く感じる。

そうそう、往路もそうだったが、ところどころにある緩やかで広い尾根や、トラバースは枝などにくくり付けられている目印が頼りで、ちょいちょいそれを見逃して、何度かコースアウトを繰り返した。戻りの時には気をつけようと思っていたが、同じ場所かは定かではないが、同じ過ちを繰り返していたようだ。ただ、自分の場合は、スマホに地図アプリを入れていて、しかもコース設定もしてあるので、これが結構、役に立った。スマートウォッチにも連動させているので、スマホをいちいち出すことをしなくても手軽にコースを確認できるのは、地味だが便利。この日もこれがずいぶんと役に立った。

ようやく治田峠を通過して、いよいよ登り地獄の開始。歩き始めに覚悟していたとおり、アップダウンを繰り返しながら連続する登りは苦しい。でも、そんな時に心の支えになるのが、余裕のある時間設定で、治田峠を通過した時も、まだお昼前。これが、日没を意識するような歩きだとすると、正直、パニックにもなりかねない。「おじさん、ゆっくり歩けばいいことだよね」と、何度も言い聞かせ、登りの途中で、きつくてどうしようもなくなった時には、そこでしばらく休憩して、何度も体力を回復させた。

あんなに遠くに見えてた最後の藤原岳も気づけば、目の前に見えてきた。残りの水は約400ml。行動食も十分に残っている。時間もOK。こうなれば、あとは時間の問題。最後の激登りもゆっくりとゆっくりと登り、登りきった。そこまで来て、残りの水を乾いた喉に流し込み、藤原岳山頂に顔を出した。相変わらずすごい登山者の数だと、本当は疲れ果てているのにあたかも余裕のありそうな素振りで辺りを見回したあと、最後の力を振り絞って駆け下りるようにテン場を目指した。

その後、10分もかからずにテン場に着き、真っ先にあれを探した。もち、ビールです。ザックにガサゴソと手を突っ込み、大事に保管してあったそれを探す。「あった」、そして「まだ冷たい」。2日前からガチガチに凍らせて持ってきたのが功を奏したようだ。まだ冷たい!それを取り出し、蓋を乱暴に開け、それでもこぼさないように丁寧に口元に缶を運び、そして一気に缶を傾ける。砂漠と化した口や喉に冷えたビールが流れ込み沁みていくのがよく分かる。生きていてよかった。冷えていてよかった(笑)の瞬間でした。ああ、山ってやめられない(やめられないのは山なのか?)。この時、時刻は13時半。

一息ついたあとは、熱いテントの中で少しだけ昼寝をし、途中暑さに耐えかねて、避難小屋に移動して昼寝を続け、そんな感じでうだうだしていると、すでに夕刻。賞味期限切れの尾西を食べて、かろうじて、そろそろ寝てもいいだろうという時間まで頑張って、この日も無事にシュラフと一体化しました。


▽ ヤマレコ情報

(2日目)

GPS 07:23 距離 14.2 km 登り ─ m 下り ─ m

(3日間合計)

GPS 12:42 距離 21.4 km 登り 2,257 m 下り 2,283 m




GWテン泊山行『藤原岳、竜ヶ岳』(出発編)

ゴールデンウィーク初日。前日は1年ぶりの職場での飲み会があり、ややはしゃぎすぎたようで、朝起きたら二日酔い。記憶にないけど、朝6時にアラームが鳴ったことからすると、どうやら山に行く気はあったようだ。であれば、行くしかないでしょうと、重い身体を叩き起こして、さっそく準備に取りかかった。ビールもご丁寧に冷凍庫に入れてあるところからすると、自分、酔ってても山への気持ちはまだまだ熱いようだ。

なんとか準備を整えて、部屋を出たのは8時前。登山口には10時過ぎに着きそう。ということは、テン場に着くのは13時頃か。電車を乗り継いで、1年ぶりの車窓からの景色に懐かしさを覚え、超ローカル線の終点に着く頃には、乗客は自分と少年1人。駅に着くと、その少年が「登山ですか?」と話しかけてくる。人懐っこそうな、爽やかな笑顔だ。少し話をしてみると、どうやらその少年は、いわゆるテツで、乗ってきた電車がまもなく引退するそうで、思い出作りに乗りにきたそう。

折り返しの時間まで、30分くらいあるので、登山口まで同行したいと言ってきた。こんなおじさんでよければと、しばらく少年との会話を楽しみながら、登山口までの奇妙な散歩となった。もちろん自分自身、こんな経験は初めてで、少年は、いや、少年といっても中学生か高校生だろうが、鉄道への熱い思いを語りながらも、山のことを聞いてくる。登山道に向かうちょっとした傾斜に差し掛かると、「もうキツイです」と、確かにその細い身体が印象的だ。「登山は楽しいよ」と、山やへの勧誘活動を終えて、名残惜しいが登山口で少年と別れた。

気持ちを切り替えて、登山を開始。まずは、登山口すぐそばの神社で今回の山旅の安全を祈願し、登山道に入る。10時を過ぎているので、山に入るにはやや遅めの時間、さすがに周りには登山者は見当たらない。気楽にマイペースで歩こうと、ゆっくりと歩を進める。ところが、この日のザックは約20kgと久々の重量級、そう簡単におじさんの歩を進めさせてくれない。おまけに昨日のビールが一気に大量の汗となって吹き出る。


歩き始めは、こうして、ふうふう言いながら、一歩一歩、少しずつ登って行っては、小休止することの繰り返し。ただ、しばらく歩いていると、汗が出きったようで、身体も山歩きに少し慣れてきたようだ。とはいっても、先はまだ長い。こんな時は、早く着きたいと、先のことを考えすぎる傾向が強くなるが、山歩きは先のことをあまり考えすぎると、精神的な疲労が蓄積してくるので、苦しいながらも目の前の歩きを楽しむことに専念した。「ああ、辛いけど、楽しい」とか、「まだ、たっぷり歩ける」みたいに...。ドMの変態のように聞こえるかもしれないが、これが山やの真骨頂だと、自分では勝手に思ってる。

その後、8号目まで到着し、小休止を経たあと、懲りもせず亀のようにのろのろと登っていくと、今度はポツポツと雨が降ってきた。予報にはなかったけど、もともとこの日は雨予報が改善しての曇り予報だったから、こんなこともあるだろうとは覚悟していた。幸い雨は小雨で強くなる様子もないので、レインウェアは着ずにそのまま歩いたのだが、この山域で雨に降られるのは初めてで、まさかこんなに足元が滑るとは思ってないほど、つるつると滑った。重い荷物を担いで転んだら、タダでは済まないと思い、一層、ゆっくりとならざるを得ず、しばらくは山歩きを十分に楽しむことができた(涙)。この時、時刻は13時過ぎで、この雨もあり、山頂からは続々と登山者が下りてくる。みな、足元の滑りに驚きながらも細心の注意を払いながら、慎重に歩くものだから、瞬く間に登山道は渋滞と化してしまった。まあ、こちらも急ぐ山旅ではないし、慎重に歩きたいのは同様のこと、「どうぞ、どうぞ」と道を譲るごとに山頂が遠のいていく気分。

そうこうしながらも、ようやくテン場付近に着く頃には、雨は普通に降るくらいの状態。ひとまず、避難小屋にまさに避難。テン場を覗くと、この雨の中、せっせとテントを設営している人がいて、ふと何年か前の雨の黒部を思い出す。自分はというと、いまさら雨の中で設営する気にもなれず、まずは様子見と、避難小屋でしばらくお天道様のご機嫌を伺うことにした。

30分ほどすると、あれほど降っていた雨も止み、空に明るさも戻ってきた。ラッキーとばかりに、テン場に向かい、設営を開始することに。水捌けのいいここのテン場は、雨で濡れたはずの地面もほとんど気にならず、いい場所も見つかり、サクサクと今日の寝床を確保することができた。少し時間は早いが、あとは用意してきたビールをいただき、明日に備えるだけ。早寝が得意な自分としては、すでに瞼が重くなってきたが、とりあえず宵の始まりを見届けてから、あったかなシュラフに潜り込み、1日目が終了した。


▽ ヤマレコ情報

(1日目)

GPS 03:01 距離 3.5 km 登り ─ m 下り ─ m

(3日間合計)

GPS 12:42 距離 21.4 km 登り 2,257 m 下り 2,283 m




2024年4月30日火曜日

練習山行『宇連山』南尾根コースピストン

ゴールデンウィークには、テン泊したい。そう、もしかしたら、これが最後の当地でのテン泊になるかもしれない。そんな思いが突然、頭をよぎった。ただ、テントを担いで山を登るには、1月以来、山歩きをしていない自分としては体力的に自信がないので、その前に練習山行に行くことにした。1週間前の一回こっきりだけど...。

そういうわけで歩いてきたのは、JR飯田線の三河槙原駅から歩いてアクセスできる宇連山(うれやま)。標高が1000mに満たない山だが、WEBで見る限り岩尾根が美しそうだったので、すぐに決めた。実際に歩いて見るとWEB画像どおりとても美しい岩尾根で、この日は好天にも恵まれて、とても気持ちのいい尾根歩きとなった。この山、というかこのコースかな、距離も程よく(往復約12km)、アップダウンもまあまああり(練習山行としては、少し物足りないくらいかな)、高低差が800mくらいあるので、それなりに登り甲斐はある。印象としては、登りっぱなしという感じ。しかも、足下もそれほど荒れてなく、危険箇所もないので、比較的歩きやすく、練習山行としては打ってつけだと思う。ていうか、とてもいい山だ。

歩いた南尾根コース(ていうのかな?)は、歩き始めの1時間くらいが岩の多い地帯で、もっとも印象的だけど、そのあとは、まあ正直、普通の低山山域で、展望はあまり望めないので、やや退屈な感じはある。山頂も展望は僅かで、長居は無用な感じ。自分が到着した時も2組しか登山者がいなかったから、超人気な山でもなさそう。なんでだろう、いい山なのに。

この日、自分はというと、テン泊装備には敵わないけど、それなりの重さの荷物も背負って歩いたので、翌週のテン泊山行は、まあ、なんとか歩けそうかなといった感触はつかめた。4月だというのに、気温が高めだったので、全身汗でびっしょりになったので、歩き始めの時に短パンに着替えたのは正解だったと思う。まだ、アブや蚊といったしつこい虫もいなかったしね。翌週もこのスタイルで行くことにしました。

山を下りてからは、県民の森の中の立派な施設に立ち寄り湯があったので寄っていこうかなと思ったけど、レストランが営業してないらしいので、やめました。入浴後のビールが楽しみの一つでもある自分としては、ごめんなさい、なしです。ということで、三河槙原駅の隣りの湯谷温泉駅で降りて、以前行ったことのある立ち寄り湯で温泉に浸かり、この日、最後の楽しみのビールをいただきました。季節柄、山菜の天ぷらも食べることができて、いゃ〜、こういうことも含めて、山っていいですね。翌週のテン泊山行も頑張りますっていうか、楽しみです。ふうふう言いながら、山で飲むビールも担ぎますよ(笑)。


▽ ヤマレコ情報

GPS 06:16 距離 12.6 km 登り 1,126 m 下り 1,127 m


2024年3月2日土曜日

久々に考える。富士山は登るべきか。

最近、週末に天気が悪かったり、仕事が入ったりで山に行けないでいるから、少しだけ山について呟いてみることとした。

登山にあまり詳しくない人には、「富士山に登ることが、山やを名乗るうえでの登竜門であり、登ったことのない者は登山を語る資格が足りない」みたいな感覚がそれなりにあるみたいで、以前、職場の人に「山をやっているそうだね。富士山には登ったの」と聞かれ、登ったことがないことを告げると、「えっ?」みたいな反応が返ってきた。そんなとき、自分は、「富士山は見る山で登る山ではない」という言い訳を使っているが、富士山以外に高尾山くらいしか知らない輩たちは、それを言い訳ともギャグとも取れない不思議なリアクションと捉えるみたいで、それ以上突っ込むことなく、お互いに愛想笑いのような苦笑いが湧いて出てくる気まずい雰囲気になる。なんだか、そんなことを思い出した。

年の初めに富士山を見に山に行ったこともあり、富士山のことを少しだけ真面目に考えてみたくなったわけだが、まあ、そんなわけで自分は富士山を歩いたことがない。登頂にまったく興味がないわけではないが、なにぶん、あの人気である。新型コロナのせいで少しは登山者が減ったようではあるが、それでもやはり二の足を踏んでしまうのは、自分だけではないだろう。多くの登山者もそう思うだろうが、自分の場合、山歩きに期待する要素として、「静けさ」や「自然回帰」といったことも大事にしているので、そうなるとおのずと富士山は山歩き対象から除かれてしまう。それでも、やっぱり気になる。富士山は、山やにとってそんな山なのだと思う。

とはいっても、現実としては、登山者は2023年も20万人をオーバーしたようで、登山期間が3か月もないことから考えると、やはり異常な数字で、今後、富士山人気が衰える時期を待ったとしても、おそらくは自分の残り少ない山人生一生待っていても、その時期は訪れないだろう。思い起こせば、2013年に世界文化遺産に登録されたことが、富士山人気に拍車をかけたのだろうが、そのことから外国人観光客も増加し、挙句の果てには入山料徴収ですよ。まあ、あの風貌・容姿だ。昔の人も現代の人も、日本人も外国人も登りたくなる気持ちはよくわかる。

北斎や広重がとりこになった富士山。そしてその作品に魅了された芸術の都パリを中心としたヨーロッパの人々。特にひまわりで有名なフィンセント・ファン・ゴッホ、あの画家も浮世絵のフジヤマに魅せられた一人だ。そんなことを考えると、今の世のインバウンドの富士山人気も、今に始まったことではないということか。

そんなことを考えていると、富士山のことがいとおしくて仕方がなくなってくる。令和の時代の人間でさえ、そう思うのだから、娯楽や情報量が絶対的に少なかった時代の日本では、どれほど富士山という山が憧れや崇拝の対象となったのか計り知れない。今住んでいる町は、富士山まで直線距離でおそらく160km以上離れた場所に位置しているのだろうが、1月の富士見登山でも多くの観光客が富士山を見に来ていたこともそうだが、こんなに離れた土地でも富士山の影響は、いたるところに見られる。今から600年以上も前の室町時代前中期にはすでにこの町に富士神社が創建されていたらしいし、町名にも富士見町(不二見町)があるなど、この町にもがっちりと富士山の意識が根付いているのが分かる。また、偶然なのかもしれないけど、この町の公園には、富士山型の滑り台がたくさんあるらしい。つまり、昔も今の世も、この町は普段目にすることのない、遠く離れた富士山を少なからず感じているということなのだろう。

そんな、日本国民にも外国人からも愛されている富士山。果たして登るべきだろうか。

まあ、この問題、久々に考えてみたが、やはりいくら考えてもすぐには答えは得られそうもないので、もう少し、富士山をめぐる世の中の動きを見ながら、自身の年齢を重ねていこうと思う。もしかしたら、そのうち何らかの作用が起きて、富士山を歩く機会に恵まれるかもしれない。いつになるかは分からないけど、しばらくはそうしてみよう。

それにしても、果たして、富士山は登るべきなのだろうか。あっ、また考えてしまった(笑)。

2024年1月11日木曜日

富士見運だめし山行『蔵王山』

ふと、富士山が見たくなった。いつも東海道新幹線に乗るのは夜暗くなってからだから、そこにいるのだろうが、見えてない。近辺の山を歩いていても富士山は見えない。いや、もしかしたら本当は見えることもあったのかもしれないが、これまで意識したことはなかった。奥多摩や八ヶ岳など、向こうで山歩きをしていたときは、いつも富士山を探していて、見つけるとなぜか自然と手を合わせていた。そのくらい、富士山は自分の中で山歩きには欠かせないランドマークにはなっていた。そう、山歩きの目標の一つといっても、決して言い過ぎではない存在だった。

そんな富士山、この辺でも見られるところがいくつかあるらしいと、WEBで探し当てたので、年の初めということもあり、おめでたい富士を見に行くこととした。とはいえ、この辺から見るには富士山はやはり遠距離、よほど天気の条件が合わなければ、見られないだろう。つまり、見ることができたら幸運ともいえる富士見の運試し山行に行くこととした。内心、見ることができたら、今年はいい年になりそうな、そんな予感も抱きながらの山旅となった。

歩いてきたのは、渥美半島の先端、田原市の『蔵王山』。山自体は、250mと、そこそこの低山で、山頂には立派な展望台があり、もちろん自家用車でも行くことができる山だ。自分の場合、豊橋鉄道渥美線の終点、三河田原駅から徒歩で権現の森の登山口に向かい、そこから山道を歩いて頂上を目指した。といっても、登山口まで行ってしまえば、30分くらいで山頂なので、どちらかといえば街歩きがメインといった感じ。それでも、そんな短い時間の山歩きでさえ、「山歩きはいい」と感じてしまう自分、やはり山歩きに飢えていたようです。

さて、山頂に着いて、展望台に登り、富士山はどこかと探していると、隣りのご夫婦が「あった、富士山だ」と指を刺したので、自分もその方向を見ると、あっ、見えました!小さいけど、しっかりと見えました。真っ白なベールをまとい、うっすらと光る無垢の富士山。感動のあまり涙が出そうになりました(写真は残念だったけど...)。大袈裟ではなく、本当に。北風が吹く展望台で身体が冷えるまで見続けました。よく見ると、その左手にはアルプスらしき連山も。どこの山かと、その後、室内の表示を見てみると、聖岳と赤石岳のようです。ああ、歩いてみたい山域だけど、その前に歩きたい山はたくさんあるから、この山を歩くのはいつになることだろう。

それにしても、見ることができました富士山!今年はいい年になりそうな予感です。気をよくした自分、展望台の室内休憩所で持ってきたどら焼きとロールケーキをいただき(どんだけ甘い物好きなんだってことだが...)満足なひと時を味わった後は、気分を良くしたまま下山です。下山後は、事前に調べておいた立ち寄り湯。住宅街をしばらく歩くも、着いてみると、あいにくこの日はレストランが休業。しかもお風呂はこの日は小浴場だそう。まあ、しょうがないと、汗もかいていない身体を洗い、湯に浸かった後は、乾いた喉を我慢して駅前まで歩くことに。

30分以上かけて駅前まで来たけど、なんとここでもレストランがどこも開いていない。時刻は15時過ぎ。ちょうど悪い時間帯のようで、結局、電車に乗ることにした。その後、途中の乗り換え駅でビールにありつくことができたけど、このときすでに16時過ぎ。身体もすっかり冷えて、いつもの湯上がりのビールというわけにはいかなくなった。富士見の効果はこの日は現れなかったようだが、必ずや今年はいい年になるはず。めげずにもう少し長い目で効果を待とう(苦笑)。

さて、次はどの山歩こう。


▽ ヤマレコ情報(この後G地点からS地点まで歩きました)

GPS 03:15 距離 6.9 km 登り 270 m 下り 238 m