串田孫一って、誰なんだ。そもそもなんで自分は、串田孫一という名前を知っているんだろう。最近になって、ふとそんな疑問が自分の中で浮かんできた。
何年か前に山岳関係の古書に興味を持った時期があって、おそらくその中で名前を知ったのだろうと思うけど、思いつくのはその程度。Wikipediaを見ると、東京帝国大学で哲学を学んだとあり、また、詩人、随筆家とあるので、山、一本槍の人ではなさそうだが、それでも昭和の山岳系文芸誌『アルプ』の創刊に携わった一人のようなので、山に対しては、並々ならぬ思いをお持ちの方だったのだろうと容易に想像はつく。
今の自分は一人生活なので、比較的本を読む時間があるし、今回、ふと串田孫一のことを思い出したことも縁と感じ、たまたま近所に古書店が多くある環境だったので、画像の本を、興味のおもむくまま購入してみた。
大正4年生まれの孫一は、昭和13年に東京帝国大学を卒業し、上智大学で教鞭をとりつつ、執筆活動もしていたのだろう。その後、太平洋戦争を経て、旧制東京高等学校で教鞭をとることとなり、その中で若者に刺激されたのだろうか、それとも山好きの仲間と再会し意気投合したのだろうか、昭和33年3月に『アルプ』を創刊した。この前後から山に関する出版物が多くなってきたようだから、やはり、この頃に猛烈に山への思いが強くなったのであろう(Wikipedia情報を元に想像しました)。当時、孫一が43才の時だ。
もともと孫一は、14〜15才の頃から山に触れ合っていたようで、ー このことは今回購入した「高原」の前書きに孫一が書き記していた ー こうした経験は、大学で哲学を学び著書を多く出していた孫一としては、ある意味、必然的に山に関する著作活動に進んで行ったのだろうと思う。だって、山歩きは、人生観や哲学めいた発想に通じるものがありますからね。何度も言いますが、これらはすべて自分の拙い知識と、豊かと言えない想像力を元にした話ですが。ただ、古書っていうのは、歴史が物語る時代背景をもとに著者へ思いを馳せることができるのも、楽しみの一つだと思いますので、孫一さんには申し訳ないですが、勝手に楽しませてもらいました。
「アルプ」が創刊されたのが昭和33年3月、今回購入した「悦ばしき登攀」は、その年の8月に出版された随筆集で、一方「高原」(串田孫一編)は、その3年後の昭和36年に出版されている。まあ、つまりはどちらも孫一の山への思いが形となり始めた頃の作品と言えるかもしれない。というのも「悦ばしき登攀」は、まさにアルプと同期出版だし、高原は孫一が取りまとめ編纂しているのであって、実際に執筆したのは、要は山好きな作家の方々なのだから、この本の企画構想は、おそらく昭和33年頃のものだったのではないかな。
ちなみにこの高原には、日本百名山の深田久弥、花の百名山の田中澄江、山と渓谷の田部重治、珍しい方としては、詩人の草野心平など、自分が知っているだけでも、中々の重鎮揃いの布陣だ。
また、「悦ばしき登攀」を読んでみると、孫一は山に対する強い思いだけではなく、相当高度で熟練された登山をしていたようで、海外の有名峰も登っていたのではないだろうか。なによりも読み進めていくうちに、まるで、自分も孫一と一緒に山にいるかのような錯覚を覚えてしてしまうような描写力があり、読み応えがある。ちなみに「岩上の想い」というタイトルの随筆は、このように書き始めている。
「ここはこの大山塊のうちで一番高いところだ。そして昨日から幾つもの峯々を歩いて、これが私の辿るべき最後の岩山だった。遂にここまでやって来たという気持ち、自分の表面はどんなに落ち着いていても、内部の悦びは誤魔化しようもなく湧いているその気持ちを、まず積み重なった火山岩に腰を下ろして、ゆっくりと鎮めてかからなければならない。
風はない。なんにもない。空には複雑にもつれた巻雲が散らばっている。それが見ていると可なりの速力で流れている。
誰もいない。鳥も飛んでいない。」
ああ、自分もこんな心がヒリヒリするような山歩きをしてみたい。果たしてそんな日は訪れるのだろうか。
さて、次はどの山歩こう。