今読んでいる、山野井孝有の「いのち五分五分」という本。山野井と聞いてピンとくる人も多いだろう。そう、あの世界的登山家、山野井泰史の父上殿の著書である。
自分自身、これまで山野井泰史の名前こそ聞いたことはあったが、それほど強く注目をしたこともなかった。まさに「聞いたことはある」程度。
でも、その有名登山家の家族が書いたというこの本をたまたま図書館で見つけ、少し興味が湧いたので借りてみることとした。
山野井泰史というこの男、中学3年生のときに登山家になると家族に宣言してから、真直ぐに登山家への道を突っ走ってきた。途中、何度も大怪我をしたらしく、極めつけは2002年にヒマラヤ・ギャチュンカンで遭難し、そして奇跡の生還を果たしたが、凍傷で両手の薬指と小指、そして右足のすべての指を失った。想像しただけで自分も痛くなる。
泰史のご両親は彼の揺るぎない決意を前に登山家としての我が子の応援者にならざるを得なかったようだが、本心はさぞ辛かったことであろう。この本の中で、孝有氏は「成田空港ではいつも、もしかしたらもう会うことがないかもしれないとの思いが頭をよぎる」と語っているが、おそらく息子が山に行くたびに、毎度毎度、覚悟にも似たような気持ちで送り出したのだろう。母親もそうに違いない。なんて辛いことだろうか。私には耐えられないだろう。
山登りって、確かに楽しいし正直ハマる。しかも回を重ねるにつれ、目標はどんどん高くなる。レベルは別として私ですらそう思うのだから、純粋で真直ぐな若い人は、さらにそうであろう。でも、登山家(者)は、よく考えてほしい、自分の身を案ずる家族がいるということを。その岩を登る前に、その雪山に登る前に、そしてその決断をする前に思い出してほしい、命は自分だけのものではないということを。
この本のタイトル「いのち五分五分」とは、年老いた自分と山登りを続ける息子の命の長さが五分五分だという意味らしい。なんとも切ない親心ではないか。
自分自身、これまで山野井泰史の名前こそ聞いたことはあったが、それほど強く注目をしたこともなかった。まさに「聞いたことはある」程度。
でも、その有名登山家の家族が書いたというこの本をたまたま図書館で見つけ、少し興味が湧いたので借りてみることとした。
山野井泰史というこの男、中学3年生のときに登山家になると家族に宣言してから、真直ぐに登山家への道を突っ走ってきた。途中、何度も大怪我をしたらしく、極めつけは2002年にヒマラヤ・ギャチュンカンで遭難し、そして奇跡の生還を果たしたが、凍傷で両手の薬指と小指、そして右足のすべての指を失った。想像しただけで自分も痛くなる。
泰史のご両親は彼の揺るぎない決意を前に登山家としての我が子の応援者にならざるを得なかったようだが、本心はさぞ辛かったことであろう。この本の中で、孝有氏は「成田空港ではいつも、もしかしたらもう会うことがないかもしれないとの思いが頭をよぎる」と語っているが、おそらく息子が山に行くたびに、毎度毎度、覚悟にも似たような気持ちで送り出したのだろう。母親もそうに違いない。なんて辛いことだろうか。私には耐えられないだろう。
山登りって、確かに楽しいし正直ハマる。しかも回を重ねるにつれ、目標はどんどん高くなる。レベルは別として私ですらそう思うのだから、純粋で真直ぐな若い人は、さらにそうであろう。でも、登山家(者)は、よく考えてほしい、自分の身を案ずる家族がいるということを。その岩を登る前に、その雪山に登る前に、そしてその決断をする前に思い出してほしい、命は自分だけのものではないということを。
この本のタイトル「いのち五分五分」とは、年老いた自分と山登りを続ける息子の命の長さが五分五分だという意味らしい。なんとも切ない親心ではないか。
読みながら時々胸が苦しくなります。 |
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